ファミリーヒストリー7

2024年05月24日 08:58

(´ω`∩おはー☁
 
ファミリーヒストリー7
 
高松でペンキ屋をはじめた両親
 
仕事は少なく
夫婦喧嘩が絶えない毎日
小さな子供は泣きじゃくる
 
世話になったからと精錬所の偉いさんから仕事の紹介が来る
さすが三井の財閥系
関連会社の工場の塗り替えだとか
 
しかし夫婦2人の手に負えず
人手を揃えるために下関から応援を頼むことに
 
座敷と二階は職人たちに住まわせ、我々は三畳間で川の字で寝た
 
2ヶ月あまりだったか無事現場が終わり
 
下関の叔父から職人を派遣した請求書が
 
職人一人3万円の日当を請求
当時なら出張しても2万円程度
 
頑張ってやった仕事は一転、大赤字となった
 
この時、大声を上げて泣いた父親の姿を覚えている
 
自分を追い出した弟から職人を借りた
話を詰めずに自分ならこうする、性善説でしか物事を考えない
 
本当に甘い男だ
 
 
材料屋から仕事を回してもらったり
ホームセンターのリフォームの仕事を請けたり
山の頂上にある電波塔を塗り替えたり
 
血尿を出しながらも両親は働いた
 
わたくしの弟も中学生の時から仕事を手伝った
 
中卒のペンキ屋でも一時は手広くやったので、子供の教育の重要性は感じてなかった両親
 
今は無理にでも勉強させてくれてたらなとは思う
 
ある製薬会社のプラントの塗り替えを受注
 
父親頭の中は昔のまんま
担当者に飲ませたりキックバック
 
調子に乗った担当者はキックバックの金額がエスカレート
手間賃の大半を搾取され、両親と弟の3人で日当が数千円
それをやらないと家賃が滞る
 
数年ほど飼い殺しの期間が続いた
なぜもっと早く製薬会社の社長にゆわなかったのか
 
つくづく甘い男だ
 
わたくしが勤務した工務店の工事も受注
儲からないけど遠方や危険な仕事をすることは無くなった
 
香西本町から鶴市へ
そしてまた香西南町へ
借家と倉庫を変えながら細々と続ける
 
2004年に中間町に引っ越す
わたくしが目が不自由になり、保険の高度障害でまとまった金を得てから買った
 
両親の苦労をずっと見てきたからな
 
父親はガンで68歳で他界
 
母親は現在73歳でわりと元気である
 
一緒に住んでた母方の祖母は8年くらい前に無くなった
 
ひとまず終了やな
これがわたくしのルーツ
 
兄弟や甥や姪のルーツでもある
 
いつか思い出してあげたりして欲しい
 
さあて
本日も頑張りまっさーじ!

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